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オバマに対する反応 2

by on 2009/06/06

Leiter Reports: A Philosophy Blog: Obama’s Cairo Speech.

  • ニューヨークタイムズより。オバマが犯したミスは二つ。まず第一に、イラクについて謝罪を行っておらず、アメリカによる侵攻を批判する立場を明確にする代わりに、2003年よりもイラクがよい場所になったというあの馬鹿らしい主張を行った。第二に、パレスチナによる暴力を一方的に非難し、親イスラエル的立場を表明した。素晴らしいプレゼンテーションだが、内容は空虚で、尊敬よりも政策が必要だと言うことを理解していない。

JCRT Live: Obama’s Cairo speech – “new beginning”, new Enlightenment, or old aporia?.

  • オバマは観衆に迎合することも、アメリカの歴史について謝罪することもなかった。このレトリックの全ては戦略的にデザインされており、アメリカの古典的な外交政策を肯定しつつ虚勢や卑屈をうまく排除している。ロサンゼルスタイムズは、「オバマのスタイルは、クリントンとブッシュ時代の古い争いから抜け出し、新しいプラグマティズムと妥協の政治を示唆している」と要約した。しかし、それよりも大きなビジョンをオバマは保持している。
  • オバマの新しい始まりは、ヨーロッパ的啓蒙の原則を強調しながら、ムスリムたちをこの光り輝くエピステーメーのもとに誘い出すというものだ。勿論彼はカントを引用することなど無かったが、「宗教無き宗教」としての啓蒙を提示している。つまり彼は、西洋に対しても今迄の「ポストモダニズム」を破棄し、もう一度ヨーロッパ的な世界秩序を打ち出すことを要求しているのだ。
  • しかし、そのようなカント的なプロジェクトによって超えることができるほど、今日の「文明の衝突」は甘くない。それは1683年9月11日、西洋の軍隊とオスマン帝国との間に発生したウィーンでの戦いに端を発しているのだ。それは、カントの理性に基づいた「普遍主義的コスモポリタニズム」によって解決できるものではない。ここにはアポリアが存在するのだ。
  • デリダはカントが思考を終えた場所から出発する。カント的な啓蒙は、終末論的な思考のもとに理性的な普遍国家を全ての人々にもたらそうとしたが、デリダはこのような弁証法的な歴史の解決は不可能だという。啓蒙とは、18世紀的な「宗教」の概念のように、ギリシャ=ローマ的伝統のもとに成立している。それはまた、植民地主義、そして「globo-latinization 世界的ラテン化」を正当化したツールでもあった。宗教はそのようなラテン世界的なものではなく、ナンシー的な共生 mitsein の「世界」なのである。
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From → Translation

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