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終わってる

by on 2009/04/29

「留学しとけ、良い経験になるから」というアドバイス。これは人畜無害だ。しかし、「留学しないと生きていけない社会になります。」というのはアドバイスでも何でもない。ただの不吉な預言だ。どの神からか、は知らないけど。

「日本はもう立ち直れないと思う」に引っかかっている人が多いみたいだけど、現実は実はもっと厳しい。どう厳しいかというと、「海外を知らないと日本に留まる資格もない」になりつつあるということ。

via 404 Blog Not Found:日本に留まりたかったら、一度は留学しておくべき.

皆が皆、留学をするためのモチベーションや資金、語学力を持っているわけではない。俺はたまたまそれが揃っていて、だから今こうやってイギリスのトップの大学で勉強を続けることができているけれども、このケースが普通だとは思わない。客観的に見て、二つに分けるなら、海外に行ける人は勝ち組だろう。けれども、弾氏はその上にあぐらをかいていないだろうか?

「バラクもジョンもタロウも、明治維新の改革者たちも」?彼らは政治的エリートではないか。一番重要なのは、そのようなエリートにはならないし、なれないし、なりたいと思わない大多数の人々の生が、どこまで保証されるのか、ということだ。歴史の陰に隠された民衆の声を聞くものはなかなか居ないけれど、彼らこそが本当の歴史の主人公であるはずだ。彼らはエリートにしてみれば無知蒙昧かも知れないが、人間はそもそもそんなに頭の良い生物じゃない。

「日本という怪物」。ナショナリズムである。留学すると自らのナショナリティを強烈に意識させられる。留学生というのは中途半端な存在だ。一方では、海外社会の中、あくまで「日本人」と位置づけられ、自らのナショナリティを保持することになるが、一方では日本人としては半端者で、日本の空気の生の感覚を感じることはできない。留学生は日本から見ても留学先から見ても部外者だ。

それ自体は良い。健康的なナショナリズムは時に悪にもなるが良いこともある。だが、この政治的想像の「しかた」、つまり、空虚で均質な時間のなかを漂い続けるネーション、その「細胞」としての人間たち、という想像力の使い方はすぐに偏狭なエスノセントリズムやゼノフォビアへと通じる。そして、全体的想像が頂点に達すれば、全体主義にもなる。

「日本がダメなら海外に出ればいい」。国際エリートは(彼らは international であるがゆえに nationalist である)いとも簡単にそう吐き捨てる。たしかにそうなのかも知れない。彼らにとってはそれが一番よい選択肢だったのだろう。けれど、彼らはこの社会のごく一部に過ぎない。大多数の人は有象無象だ。そして、その有象無象がいかに生きるのかということが、歴史で一番面白いことだと思う。

無害な精神論のレベルではこのような言説が許されても別に問題ないが、実際にこんな社会に日本がなるのなら─一度留学しないと日本では生きていくことすら難しいような世になるなら─なるほど、その時こそ「日本は終わった」と言えるのだろう。哀しいけど、そういうことだ。

From → Memo

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